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精神障害者と同窓会

こんばんは、ヤマです。先日、同窓会に参加しました。
僕はその日から体調を崩してしまい、翌日起きることがなかなかできず、記憶がおぼろです。

精神障害者が同窓会に参加するということ

僕も予想はしているんです。参加するからには死ぬ想いで挑むことになるだろうと。そして予想通り疲れ果てて、寝込みます。


まず、同窓会の会場に足を運びます。



久しぶりー^^


と挨拶をして



今何しているの?



この質問にスラスラと回答できないとその後、辛い想いを延々と味わうことになります。僕は精神障害者、仕事に就けない無職のニートですが、求職中、と答えています。まあ、全くの嘘ではないです。




働きたい気持ちを持っている人は求職者です!(小声)




まあ、長年の付き合いなのでまたダメだったかーくらいに言ってくれるのが救いです…ただ、そこから前の職場をディスらないといけないので人間的に、辛いです(弱者になるとはそういうことだと割り切ってますが…)
そもそも精神障害者になった時点で参加すること自体、ダメなのかもしれません。

それでも参加する理由

しかし、これ断ったらもう、連絡取れないな。という最後の砦的なものが同窓会だったりします。



僕の場合、中学生の同窓会と、大学生の同窓会に呼ばれることがありました。大学生の同窓会はお酒を断ることができず再飲酒してしまい、出席しなくなりました。それ以来、当時の友人たちとは縁が切れました。同窓会の誘いが僕と彼たちを繋げる最後の砦だったのです。




中学生の頃の同窓会も、出席したら辛い想いをすることになるな…ってわかってはいるんですよ。でも、これを断ったらまた縁が無くなります。誰とも繋がることのない、中年になるわけです。

参加することが正しいわけではない

自分で言うのもなんですが、精神障害者が同窓会に参加することが正しい、というわけではありません。むしろ参加すべきではないと思います。弱った時に必要なのは仲間であり、味方です。わざわざ好き好んで戦場に行く必要はありません。




ただ、この関係だけは守らないといけない、無意識でそう思っているのだと思います。いつか晴れ姿で参加出来たらいいな、そんな淡い期待が残っているのでしょうか…

同窓会は勝ち組のステータス

純粋な同窓会、というものがもしあるとしたら、それは





卒業してからどのような人生を歩んできたか、報告する会




だと思います。ですが、現実は違います。




競争社会に生き残り、人生を謳歌している過程を報告する会、それが同窓会です。




書いていて気分が悪くなってきました。参加するの、辞めよう…