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発達障害に生まれてよかった、たった一つのこと

こんばんは。ヤマです。

 

 

 

今回は発達障害でよかったな、と唯一思えることを書いていきます。

僕の生い立ちも触れつつお話させてもらえたらなと思います。

 

 

 

僕の両親は仲が悪いです。母親は知的障害+自閉症、父親も自閉症なため、お互い意思疎通が取れず、喧嘩が絶えない機能不全家族の末っ子として僕は生まれました。

 

 

 

父はバブルの恩恵を受けられた世代でしたが自閉症に加えて地頭もよくなかったので仕事で苦労したそうです。そんな父親ですから女性に相手にされなかったのでしょう、社会に適応できず田舎に籠っていた母親とお見合いをし、結婚しました。

 

 

 

そんな家庭に育ったため、本来親から学ぶべき教育を僕たち兄弟は誰一人まともに受けることはできませんでした。何がいいことで何が悪いことなのか、そのような当たり前のことも知らず、そんな自分たちが普通である、と疑うこともありませんでした。

 

 

 

そんな劣悪な環境で育った僕でしたが転機が訪れました。股関節が変形する難病にかかり、歩くのが困難になったため病院に長期入院することになったのです(今にして思うと精神に加えて身体も障害あったんか、どれだけついてないんだと我ながら呆れます…)

 

 

 

その病院は特殊で院内に小学校が併設されており、治療をしながら学校に通い生活をしていました。
朝、六時半に魔女の宅急便ルージュの伝言で目覚まし、看護師の方に促されて歯磨きをします。朝の給食を食べてそのまま学校に。一学年につき先生は1人、生徒は2~3人だったので、物わかりの悪い僕にも辛抱強く計算問題を教えてくれました。学校から帰ると夕食まで自由時間だったので森の中で虫や植物を取っては学校に持ち込んで眺めていました。夕食を終えると消灯の時間まで看護師の方に紙芝居や絵本を聞かせてもらい、夜の9時に寝るという生活をしていました。





そこで僕は、初めてまともな大人の人たちによる教育を受けることができました。そこで好材料となったのがADHDの天然具合でした。子供とはいえ、頭が悪すぎる…と大人たちに大うけしたのです。そのバカさ加減に加えて常識も知らなかったので大人の人達からわが子のように、可愛がってくださいました。


 

 

 
また僕の育ちがよくないこともわかってくださったんでしょう、僕の両親も先生や看護士の方からアドバイスをやんわりと、オブラートを包みに包んで、いただいていました…笑
 

 

 

病院を退院してからも天然さは僕の人生をいい方向に向かわせてくれました。学生時代は先生や友人に、就職してからは上司や先輩社員の方に呆れられながらも、よくしていただくことが多かったです。(嫌がらせやいじめももちろんありましたが…)

 

 

 

忘れられないのが初めて就職した印刷会社です。僕が成績を残せないどころか遅刻をする、ミスばかり、社会人の常識もない、会議中に寝る、などありえないことばかりしていました。
そんなことばかりしていたのでとうとう会議で

 

 

ヤマをどうやって辞めさせるか

 

 

という話が上がるまでに。しかしそこで直属の上司である部長が

 

 

一年、時間をいただきたい。責任は私が持つので彼をまっとうな社会人に育てる猶予を上げてほしい。

 

 

といってかばってくれました。この話を聞き





死んでもいいからまともな社会人になりたい




と死力を尽くして日々の業務に励みました。何とか部長の期待に応えたい、その一心でしたが結果に繋がらず、軽い鬱になり会社を辞める形になりました。ただ今でも部長には本当に感謝しています。





その後も嘱託社員でおじいちゃんたちに交じり、消防設備の点検の仕事をしたのですがその際も本当によくしていただきました。
ただどれだけ努力しても適応できた職場はありませんでした。そんな生活が続くと肉体も精神も削られていきます。




こんな出来損ないの人間なら、生まれてこなければよかった。




何度も両親を恨み、自死を考えていました。
ですが発達障害ADHDがなければ人に「可愛がってもらえる」ことを僕は経験できませんでした。




ポンコツでなければ、僕は人から愛されることはありませんでした。




30過ぎた大人の言葉ではないかもしれませんが、純粋でどこか抜けている生き物って可愛いものです。僕も可愛がってもらったこともあり、その恩返しとして頑張ってるんだけどなかなかうまくいかない若者を見ると助けてあげたい、かまってあげたいという気持ちがあります。




僕は社会的に敗れ去った人間であり、慎ましく息を潜めて生活しています。
それでも何か人生を好転させるいい方法はないだろうか、と模索してこのようにブログを書いているのも、もがき苦しんでいる若者を、かつて自分がそうしてもらったように可愛がってあげたい、という気持ちがあるからです。




落伍者にもそれくらいの選択肢が残されてもいい世の中である、と信じています。